教師の楽観、医師の悲観――ということを考えます。
教師は、概して楽観的に教えるのがよいのに対し――
医師は、概して悲観的に診るのがよい、という考えです。
例えば、生徒の成績の伸びを悲観的に予測する教師は、たぶん生徒の根気を徐々に削いでいくでしょうし――
例えば、患者の病気の徴候を楽観的に軽視する医師は、たぶん患者の予後を少なからず縮めるでしょう。
この違いは――
生徒の学力の増進は、主に生徒の意識的な営みによって支えられているのに対し――
患者の疾患の治癒は、主に患者の無意識的な営みによって支えられているところに――
端を発しているようです。
生徒の学力は、生徒が意識して頑張れば増進しますが――
患者の疾患は、患者が、いくら意識して頑張っても治癒しません。
もちろん、教育の暗示効果や診療の偽薬効果を忘れてはいけません。
教育の暗示効果は生徒の無意識に働きかけ、診療の偽薬効果は患者の意識に働きかけます。
が、それらは、教育や診療の中心的要素ではありません。
教育は生徒の意識的な営みに依っており、診療は患者の無意識的な営みに依っています。
よって――
教師には、楽観のリスクをとる勇気が必要です。
――あの先生、うちの子供に甘い見方ばかりする。
という保護者の不満に耐えなければなりません。
楽観的な教師に、保護者は不信を持つものです。
逆に――
医師には、悲観のリスクをとる勇気が必要です。
――あの先生、いつも私を不安にさせてばかりいる。
という本人の不満に耐えなければなりません。
悲観的な医師に、患者は嫌気を起こすものです。
教師も医師も、因果な商売ですね。
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上記の「暗示効果」とは、例えば、生徒に計算練習を反復させることで自然と数学嫌いが治るような効果を指しています。
また、「偽薬効果」とは、例えば、催眠作用がない薬物を服用させることで睡眠が導入されるような効果を指しています。