自分の時間を守ろうと思ったら――
周囲の人たちのトラブルは覚悟したほうがよいでしょう。
例えば、職場で――
上司から「暇だったら、この本棚、整理しておいて」といわれて、「本棚の整理、お急ぎですか?」と問い返したら、上司に怒鳴られるかもしれませんし――
部下から「あの~、ちょっと、よろしいですか?」と声をかけられ、「本当に“ちょっと”だけなら、いいよ」と答えたら、部下に見切られるかもしれません。
でも――
そうやって守らなければ守れないのが、自分の時間であろうと思うのです。
よく、
――時間が盗まれる。
などといいますが――
実際には「時間が盗まれる」ではなく、「時間を使っている」です。
周囲の人たちとのトラブルをさけるコストとして、時間を使っているのですね。
これは一例です。
他にも例は挙げられます。
金銭のトラブルを避けるために、時間を使う――ローンでおカネを借りるということです
健康のトラブルを避けるために、時間を使う――しっかりと休息をとるということです。
いずれも、時間を使うことの見返りが存在します。
ですから――
僕は、「時間が盗まれる」という表現に違和感を覚えるのです。
その表現には、時間というコストをかけて何らかのトラブルをさけようとしている意図が、感じられないからです。
が――
ひょっとすると――
人が怠惰な時間を無自覚に過ごすとき――
その人の時間は、たしかに「盗まれている」かもしれません。
ただし――
それは、誰かによって時間が奪われているのではなく――
その人が自分で自分の時間を捨てているのです。
強いていえば――
自分の時間を盗んでいるのは、自分自身です。
やはり、「盗まれている」という表現には違和感を覚えます。
責任転嫁の語感が拭えません。