――定見
と、
――偏見
とは、紙一重だと思っています。
「定見」とは、他者の意見に左右されることなく、独自の探索や思索によって培ってきた意見のことであり――
「偏見」とは、他者の意見に耳をかすことなく、自分勝手な思いによって抱き込んできた意見のことです。
一般に――
その意見の内容が――
高尚で寛容的であれば、定見とみなされ――
低俗で排他的であれば、偏見とみなされますが――
実際には、そんなに簡単に色分けできるものではありません。
定見のような偏見や偏見ような定見が、いくらでも存在します。
例えば、
――私は、ことさらにおカネもうけをしようとは思わないので、例えば、銀行の預金を投資信託に回したりはしない。おカネが増えるかもしれないということは、同時に、減るかもしれないということである。
というのは、概して「定見」とみなされうるものですが――
とはいえ――
実際に、商売を生業(なりわい)としている人たちというのは、すべからく「おカネが増えるかもしれない」と「おカネが減るかもしれない」との狭間で活路を見出しているわけで――
そういう人たちにとっては、「投資信託に回したりはしない」は、単なる偏見だと感じられても不思議のないものです。
職場においても家庭においても――
何かを成し遂げようと思うときには、定見をもつことが大切なのですが――
その「定見」が、実は偏見に陥っていないかどうかは、常に省みておく必要がありましょう。