マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物語の欲求に身を任せるとき

 事実を単に羅列しただけでも――
 人は、その羅列の中に繋がりを見出し、物語を読み取ります。

 人は、物語を読み取らずにはいられないのです。

 このことを逆手に取って――
 事実を単に羅列することで、物語を伝えようとする人たちがいるのですが――

(まあ、何とも禁欲的な姿勢だな)
 と感じます。

 おそらくは――
 物語を伝えることに、無意識の抵抗があるのでしょう。

 わからないでもありません。

 物語というものは、しょせんは語り手の主観ですから――

 一般に――
 社会においては、客観が重視され、主観は軽視される傾向にあります。

 社会人としてまっとうに生きようと思ったら――
 物語を語ることは忌避されるべき営みです。

 が――
 厳密に考えれば、真の客観などは存在しえないことは――
 近現代の哲学者らが論じてきた通りです。

 ――真の客観など存在しえない。全ては誰かの主観である。

 この境地に至るときに――
 人は、物語の欲求に身を任せるのだと思います。