マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

背徳の感覚の豊かな人、貧しい人

 ――背徳

 とは、

 ――道徳に背いている感覚

 です。

 この背徳の感覚は――
 道徳指針の濃厚な人ほど、豊かです。

 逆に――
 道徳指針の希薄な人ほど、貧しい――

 ……

 ……

 どういうことか――

 ……

 ……

 道徳指針を――
 便宜上、時計の数字の方向で表しましょう。

 道徳指針のド真ん中というのがあったとして――
 それを、いま9時の方向であると仮定します。

 このとき、

 ――道徳指針が濃厚である。

 とは――
 例えば、道徳指針が、

 ――時計回りに8時から10時の方向(60度)

 であることをいい、

 ――道徳指針が希薄である。

 とは――
 例えば、道徳指針が、

 ――時計回りに7時から11時の方向(120度)

 であることをいいます。

 つまり――
 道徳指針が8時から10時の方向に集中している人にとって――つまり、道徳に厳しい人にとって――
 背徳とは、

 ――時計回りに10時から8時の方向(300度)

 であり――
 道徳指針が7時から11時の方向に分散している人にとって――つまり、道徳に甘い人にとって――
 背徳とは、

 ――時計回りに11時から7時の方向(240度)

 であるわけです。

 これだけなら、

 ――300度と240度? そんなに違わないのでは?

 と思う向きもあろうかと思います。

 が――
 いま9時の方向を道徳指針のド真ん中である、と――
 仮定しています。

 よって――
 時計回りに12時から6時の方向(180度)は――
 道徳指針のド真ん中とは基本的には反対向きであるわけです。

 この方向の背徳は――
 いわば、

 ――シャレになっていない背徳

 でして――
 例えば、10月11日の『道草日記』の例を引けば、

 ――戦場の村や街で、異性の住民を手当たりしだいに捕獲する。

 といった類いの背徳を指します。

 よって――
 もし、僕らが背徳を“味わう”としたら――
 それは、道徳指針のド真ん中と基本的には同様の向きであるはずです。

 時計回りに6時から12時の方向(180度)ですね。
 再び、10月11日の『道草日記』の例を引けば、

 ――学校の体育の水泳で、つい気になる異性の体をみてしまう。

 といった類いの背徳を指します。

 ……

 ……

 もう、おわかりでしょう。

 道徳に厳しい人――つまり、道徳指針が8時から10時の方向に集中している人は――
 6時から8時と10時から12時との計120度で背徳を“味わう”ことができるのに対し――

 道徳に甘い人――つまり、道徳指針が7時から11時の方向に分散している人は――
 6時から7時と11時から12時の計60度でしか背徳を“味わう”ことができないのです。

 つまり――
 背徳の感覚の豊かな人は、道徳に厳しい人であり――
 背徳の感覚の貧しい人は、道徳に甘い人であるのですね。

 世間一般には、

 ――逆だ。

 とみられているのではないでしょうか。