マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

道徳を叩き込まれたからこそ

 背徳の感覚が豊かな人ほど、道徳的には厳しく――
 背徳の感覚が貧しい人ほど、道徳的には甘い――
 というようなことを――

 きのうの『道草日記』で述べました。

 きのうは――
 やや定量的に述べてみましたが――

 定性的には――
 ちょっと考えれば――
 自明のことでしょう。

 そもそも――
 道徳を日頃から強く意識しているからこそ――
 背徳がよくわかるのであって――

 もし、道徳をほとんど意識したことがなかったら、

 ――背徳って、なに?

 となるはずです。

 ……

 ……

 18世紀後半のフランスで――
 暴力的なポルノグラフィーを書き残した小説家・サド侯爵は、


 の語源となったくらいですから――
 背徳を極めた人物といえましょうが――

 そのサド侯爵は、「侯爵」の呼称が示す通り、貴族階級の出身です。

 幼い時分には、修道士であった伯父から教育を受けていたといいます。

 道徳の何たるかを叩き込まれたからこそ――
 背徳を極めることができたに違いありません。