マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

康熙帝が中国史上最高の名君と評される理由

 ――清の君主について、初代ヌルハチや二代ホンタイジには気質に明るさが感じられるが、順治(じゅんち)帝すなわち三代フリン以後の三代(三代、四代、五代)には気質に明るさが感じられない。むしろ、暗さが感じられる。

 ということを――

 おとといの『道草日記』で述べました。

 

 清の四代目の君主は、聖祖・康熙(こうき)帝です。

 中国史上最高の名君と評されていることは、おとといの『道草日記』でも述べた通りです。

 この康熙帝の気質にも暗さが感じられるとは、どういうことか――

 

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 康熙帝が中国史上最高の名君と評されるのは――

 外交と内政とに一定の業績を残しつつ、60年以上にわたって中国の全土に君臨を続け、人心を落ち着かせたからです。

 

 近代以前、外交は戦争と不可分でした。

 康熙帝は度々、大規模な遠征を行っています。

 その結果、清の版図は着実に広がり、かつ、外国からの圧力を跳ね返す積極的な外交が可能になりました。

 

 通常ですと――

 そのような積極的な外交を行うには、国内で増税を強いるなど、つい内政に負荷をかけがちになるのですが――

 康熙帝は、治水事業などを怠らず、穀倉地帯の荒廃を防ぎ、また、国内の治安を守ることで商業経済が自然と盛んになるように仕向けた結果、税収が自然と増えたために、とくに内政に負荷がかかることはありませんでした。

 

 康熙帝が中国史上最高の名君と評される所以です。

 

 加えて――

 康熙帝は、文化事業にも力を入れました。

 

 自ら中国の伝統的な学問を修めただけでなく、キリスト教の宣教師がもたらした西欧の学問にも深い関心を示した上で――

 辞典や詩集などの編纂を命じています。

 

 このように述べると――

 康熙帝の気質は、いかにも明るいように感じられますが――

 実情は少し違ったようです。

 

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 この続きは、あす――